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鈴木 重次(すずき しげつぐ、建久6年(1195年)? - 正嘉2年(1258年)8月?)は、鎌倉時代初期の武将・豪族。穂積姓、藤白鈴木氏の当主で、源義経主従・鈴木重家の次男。子に重好。 父の重家は源義経に従い衣川館で戦死したが、子の重次は紀伊国にあったとされ、後の承久の乱に朝廷方として参加した。『古代氏族系譜集成』によると正嘉2年(1258年)8月に64歳で没したとされる。 == 参考文献 == * 穂積姓鈴木氏: 紀州德川二七〇年鈴木家系譜(鈴木淳介、1982) * 古代氏族系譜集成/中巻(宝賀寿男) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鈴木重次 (鎌倉時代)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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